いつも限界に近い

しがないバンドマンの随筆

2018年7月28日

 18年間を生きた愛猫エルが逝った日で、人生で一番泣いた日。日付が変わって少しした時間だったろうか。ちなみにメスだ。

 エルが17歳のとき、ついに腎不全を患った。高齢になった猫の多くがかかる病だ。冬の前で、2017年の10月か11月あたりだっただろうか。あるとき、食欲が減り、嘔吐が増えたことが気になり、動物病院へ連れて行ったときに診断を受けた。頭では分かっていた「別れの日」が、現実に起こることなのだと、はじめて本当の意味で分かったのはこの時だった。年齢を考えればその日が近いなんてことは、頭では分かっていたはずなのに、本当の意味では分かっていなかった。

 その診断を受けたとき、エルとの永遠の別れを想って夜な夜な泣いた。そして、すでにかなりの高齢ということもあり、医者から言われたわけでもなく「もう1年も一緒にいられないだろう」と確信に近い予想をした。もしかすると1カ月も、1週間すら持たないかもしれないと、そのとき思った。

 幸い、すぐに力尽きるということはなかったが、しばらくはどんどん落ちてくる食欲との戦いだった。いつも食べていたドライフードを、すり鉢で粉状にして水を加え、流動食のようにして無理やり食べさせる。エルは少しだけ爪を立てて、前足を使っていやがった。妻と一緒に「お願いだから、食べて」と、毎日つぶやきながら食べさせた。もちろん餌を変えたり等もいろいろと試したが、結局はこれに落ち着いた。

 流動食を作って、それを食べさせ始めてから1週間ほどだっただろうか。定期的に試してはいたのだが、あるとき手のひらに乗せたドライフードを食べた。そのときは本当に嬉しくて、思わず「やった!食べた!」と声が出た。嬉し涙もじわり滲んでいた。

 しかし、そのまま順調に食欲が戻ったわけではない。手から餌をあげると、それでしか食べなくなる等の情報を目にしたりもしたが、この際食べてくれるなら何でもよかった。そして元気になってくれるなら。結局、そうはならなかったが。

 本心から、この子の命が助かるならいくら払っても惜しくないと思っていた。頻繁に通う病院代や、このためだけに買った雑品代、試した餌代、いくらかかろうがどうでもよかった。高い値段の手術で治るなら、銀行からお金を借りて払う気だった。しかし、そういう類の病ではない。基本的には、進行を遅らせることしかできない。

 しばらくは数粒だけ、そのままのドライフードを食べたり食べなかったりで、基本的には流動食をあげ、2日~3日に1回は動物病院へ点滴に行った。点滴にも諸説あるが、自分で調べた限りでは、もうそれにすがるしかなかった。外部からの評価や実績から考えても、病院を変えることは選択肢になかったし、今でもそれでよかったと思っている。

 あるとき、確か俺がライブのツアー途中で外泊しているときだったと思うが、妻から餌を自分で食べたという報告を受けた。思わず涙がこぼれる。それほどに嬉しかった。そしてそれから少しずつ食欲が戻っていき、既定の量の3分の2程度は自分で食べるようになった。

 「このまま回復しちゃうんじゃないか?」あり得ないことと分かっていながらも、起きない奇跡を想った。1度は分かったはずの「別れの日」への理解が、また薄くなる。病院には通い続けていたが、点滴の頻度もずいぶん減らしてよくなっていた。

 このころから、俺の車の運転の緩急が異常に優しくなった。エルを車に載せているときは、そもそもあまり動き回らないし、常に様子を見ておきたかったので、キャリーバッグから出していた。そして様子を見ると、発車や停車のとき、ほんの少し緩急が付いただけで、ズルッと足を滑らせてしまうのだ。それをできるだけ少なくしたくてそうなった。この時期以降の俺は、「心のなかのエルが足を滑らせない発車と停車」を心がけるようになった。

 そのまま半年は過ぎた。さすがに痩せてきたが、腎不全の診断前の食欲が落ちてきた時期からすれば、元気そうな様子に見えた。猫は、そういう生き物だ。本能的に病気を隠のだ。

 はっきり言って、自分のなかで一つのラインは超えた気がしていた。もちろん、実際にそうだったかもしれない。腎不全は一気に末期状態になってしまうこともあるそうで、少なくともそうはならなかったのだろう。それでも、「別れの日」に対する危機感は薄れていった。

 そのまま春が終わり、雨季が来るころ、また少しずつ食欲が落ちてきた。まったく食べないということはなかったが、点滴の頻度も増やさなければならなかった。しかしそんななかでも、「きっと、また元気になる」というなんの根拠もない期待があった。

 それでも、それを願望だろうと自覚しながらも、心のどこかでは奇跡を願ってやまなかった。「もう1年も一緒にいられないだろう」という自分の予想を、くだらない杞憂だったと思える日がきっと来るのだと、愚かにも本心の一部では思っていた。

 結果的に去年の俺の予想は間違っていなかった。診断から1年経つことなく、その日は来た。

 朝、いつものように病院へ点滴に連れていき、夜に引き取りに行った。引き取るとき病院の先生から、「食欲も落ちているし、動きも少ない。よくない状態です」そう言われたが、俺は、愚かにも、「きっと、また元気になる」と、心のどこかで、信じてやまなかった。

 家に到着し、いつものように玄関で抱っこしていたエルをおろす。エルは本当におとなしい子で、抱っこしているときに暴れたりすることは一切なかった。そのため、病院の行き来だけならキャリーバッグに入れる必要もほとんどなかった。病院で抱きながら、あるいは自分のすぐ横に座らせて呼び出しを待っているとき、近くにいた女性から「すごくいい子ちゃんですね」と言われたときは鼻が高かった。

 腕からおりたエルは元気にいっぱいに、とはいかないが、いつものようにリビングへ歩いていく。その姿はいつもどおりに見えた。

 しかし、しばらくすると様子が急変した。呼吸は浅く、ばたっと横になって、呼びかけにもほとんど反応がない。

 一気に血の気が引く。急だった。慌ててもう一度病院へ連れて行く。祈りながら、ぐったりとしたエルを預けた。祈った。神にすがった。「まさか今日なわけがない」そう思いながら呼び出しを待つ。

 少しして呼び出される。いつもの先生とは違う、夜勤であろう先生だ。「酸素室へ入れつつ点滴をうちます。今日は一晩預かります」そういった旨のことを言われた。確かに、連れてきた時点でほんの少し呼吸がととのって、ぼやけていたように見えた意識も戻っているようだ。

 しかし、なぜか分からない、何を感じ取ったのか分からないが、俺はその言葉を聞いて、分かりましたお願いしますと診察室を出るときに、「ちょっとすみません」といって、エルのおなかに顔をうずめた。同時に、大粒の涙がボロボロとこぼれ、止まらなくなり、嗚咽した。

 うずめた顔をあげて、逃げるように診察室を出た。診察室を出てすぐの待合場所の椅子に座りこみ、しばらくそこで泣いていた。すぐ隣に、家族でだろうか、一緒に呼び出しを待っている人たちがいたが、人の目を気にして止まる程度の涙の量ではなかった。

 「一晩待てば回復するんだ」という願望を妄信してすぐに帰れるほど、俺は鈍くなかった。「エルはもう持たないかもしれない」その日、仕事か何かの飲み会に行っていた妻へ一報を送り、涙を流しながら受付へ向かい、「様子を見守ることはできませんか」と聞いた。

 すんなりと承諾はされたが、少し待たされ、「先生からお話があります」と言われた。おそらく、また容体が悪くなったのだろう。もし俺が帰宅していたとしても、電話なりが来る程度には。それでも、「まさか今日なわけがない」とどこかで思っていた。先生は「今夜がヤマでしょう」とはっきり言った。

 それどころか、もし今日を乗り越えられても、その後毎日がヤマになるそうだ。でも、先生からその言葉を聞いて、ほとんど確信してしまった。「今日なのだ」と。

 診察室から奥の部屋へ通され、大人が丸まったら入れる程度のサイズの酸素室がたくさん並ぶ部屋へ入った。そこには、預けられた数匹の犬や猫がいる。そして、そのなかにエルもいた。

 様子をうかがえるよう透明になっている扉越しに、泣き続けながら見守り、そこで数分過ごしていると、先生が来た。そして、連れて帰るか、このまま残すかを聞いてきた。

 正直できることはほとんどないが、このまま残せば、"もしかすると"程度の期待値で、1日くらいなら生き永らえるかもしれないといった旨の話をされた。同時に、住み慣れた家で、この子が信頼しているあなたがすぐそばにいるほうが、もし最期が来た時には、この子にとって幸せだろうとも言われた。

 それは二度目の宣告のように思えた。連れて帰って、そのまま看取ることを勧められているのだ。つまり、連れて帰ればほぼ確実に今夜死ぬということだ。

 俺は、自分のなかで答えを出しながらも、まだすがった。「もしも、もしもですけど、この子をここに残すことで、1%でも助かる可能性があるなら、それに期待してしまうことは、それにすがってしまうことは、この子の気持ちを考えていない、俺のエゴでしょうか」思い返せば、先生も答えづらい質問だっただろうと思う。絶対に返ってこない「助かる可能性はあります」という返答にすがった。

 でも、ありがたいことに、改めてはっきりと言われた。今日をしのげば、それで済む話ではないのだと。分かっていた。少し緩やかになったいた涙が、また大粒に変わった。

 エルを連れ、連絡を見た妻を帰り道で拾い、家に戻った。妻は「きっと大丈夫だよ。ね、エル」と言ったが、俺は、俺を慰めるために言っているのだろうと察した。あとで聞くと、半分は本心だったらしいが、その後の出来事で、大丈夫ではないことを実感したそうだ。

 家に到着し、エルと妻を先におろす。俺が利用している月極駐車場は家から徒歩3分程度のところにあるため、一度別れた。

 本当に今日、その日が来たのだと、受け入れがたい現実を必死に受け入れようとしながら、駐車場から家へ向かった。玄関を開けて家へ入ると、寝室の隅にぐったりするエルと妻がいた。妻が言うには、家に入ってすぐ、大きな声で4回鳴き、バタリと倒れたのだという。そのときようやく、本当にもうだめなんだと感じたらしい。焦って起こすと、そのままよろよろと寝室の隅へ移動したそうだ。

 エルが何を思って鳴いたのか分からない。なんにせよ、そこには最期のときを待つエルがいる。周囲にあったものをどかして、毛布と、よだれをふくためのタオルと、水を用意した。

 もう自力で立ち上がることもできないので、時折布にしみこませた水をあげようとしたが、エルはいやがった。もういやがることはやりたくなかったので、すぐにやめた。時折、どうにか体を起こそうとしては、バタッと倒れた。死ぬ直前は体がとにかくだるく感じるらしく、そのせいで寝返りをうちたいのかと思い、それを望んでいたかも分からないが、体勢を変えてあげた。しばらくすると尿を漏らしていたので、なんとかトイレに行きたかったのかもしれない。

 エルの体をなでながら、そのときを待った。最期の感触を、温もりを、手と、目と、頭と、心に刻み付けようと必死だった。時折、圧力をかけない程度に、エルのおなかに俺の顔をうずめた。とにかく、忘れたくなかった。

 見守っていると、「ウー」と少し声を出してから、呼吸が止まった。かと思うと、目が覚めたようにまた呼吸し始める。その間、いよいよそのときが来たと思い、ひたすら、ただひたすらに「ありがとう」と、泣きながら言った。何回言ったか分からない。とにかく何度も言った。そして、それを数回だけ繰り返し、二度と呼吸し始めることはなくなった。

 こうしてエルは逝った。

 

 いくらか泣いたあと、エルの体をきれいに拭き、冷凍庫から保冷剤を持ってきて、それをタオルでくるみ、体の下に敷く。夏だったこともあり、体が傷まないようにしたかった。その準備をしているころには、ついさっきまで柔らかく温かかったエルの体は、硬く冷たくなっていた。完全に硬直してしまう前に、開いていた口を閉じた。なんとなく苦しそうに見えて、見ていられなかったからだ。それによって、見た目だけなら、横になっているだけに見えた。

 それらの作業を終え、ペット霊園を探す。正直昔は、「ペットで葬式なんて大げさな」と思っていた。しかしそのときは逆に、葬式をしないなんてことが考えられなかった。というか、とにかく、自己満足でもなんでもいいから、この子のために何かしたい、何かせずにはいられない、そんな心境だった。ともかく、熊本市内中のペット霊園、葬儀場の情報を調べ、レビューやHPに書いてある内容などを参考に、「ペット霊園 ゆうみん社」というところに決めた。葬儀の時間はお昼ごろになった。

 途中まで一緒にエルと暮らしていた母親や兄にも連絡をし、急な連絡にはなってしまったが、時間を作れるようだったので来てもらうことになった。二人とも同じ県内に住んでいたのでできたことだ。

 兄とは葬儀場で合流することになったが、母親は直接家に来た。「本当に死んでしまったんだね」と泣きながら言っていた。もっと早く連絡すればよかったと後悔した。でも、俺は本当に、最期の最期まで、起こらない奇跡を待っていたように思う。だから、本当に逝ってしまうまでペット霊園も探さなかったし、連絡もしなかった、できなかったのだと思う。何にせよ、過ぎてから悔やんでも仕方のないことだ。同じ場面は二度と来ないのだから。

 実はこの日「響命」のドラムレコーディングの日で、録音するスタジオに俺も行く予定だった。しかし、あらゆる意味でとても行ける状態ではなかったので、エンジニアとドラムの野中に連絡を入れ、行けない旨を伝えた。ドラム機材を俺の車に乗せていたので、葬式前の時間に野中に取りに来てもらったのを覚えている。

 葬儀で使うので準備しておいてほしいとのことで、エルの写真を印刷した。ちょうどよいものをいくつか選び、そこからさらに1枚を選んだ。エルの写真をたくさん撮ってくれていた妻に感謝した。また、近くの花屋で一輪のヒマワリを買った。なぜヒマワリかというと、花屋さんに勧められたからだ。一応、花屋に向かう途中花言葉等いろいろ調べたが、素直にその勧めに従った。これも縁だと、なんとなく考えていた。

 GoogleMapで確認して、ペット霊園までの距離も、かかる時間も把握していたが、もう出発しなければならない時間になっても、出発できていなかった。別れは済んでいるようで、まだ済んでいない。とにかく足が重い。スムーズに準備すれば、すぐに出発できるのに、いちいち体の動きが遅かった。

 妻に運転してもらい、俺はエルと一緒に後部座席に座った。もう、"物"なのかもしれないが、まだ愛おしかった。ペット霊園と兄に、十数分遅れる旨を伝えつつへ向かう。途中、後ろからついてくるはずの母の車がはぐれる事態が生じたが、というかそれのせいで数分遅れが十数分遅れになってしまったのだが、なんとかペット霊園にたどり着いた。

 そこは、お世辞にもきれいとは言えない霊園だった。しかし、そこら中で猫がのんびりと過ごしており、本当に緩やかで暖かな雰囲気だった。予約の電話を入れた際に、真っ先に、俺のことよりも先に、エルの名前と年齢、どんな子だったかを聞いてきてくれたことが嬉しかったのだが、その電話の相手先が、到着したときに迎えてくれた住職さんだった。

 兄と合流し、エルの体を一度預け、奥の建物へ案内され、そこで少し思い出話をした。というよりも、その住職さんに思い出話を促された。俺は、ここを選んで良かったと思った。同じくそう思ったであろう、GoogleMapで閲覧できるレビューを書いた人に感謝した。それもここに決める一因になっていたからだ。そして俺も、ここを選んで良かったと思える人を増やしたくて、簡単だがレビューを書いた。俺の個人Googleアカウントで書いてあるので、実際に見てみるといい。

 しばらくすると、火葬の準備ができたということで火葬場へ向かう。同じ敷地内なので、歩いてすぐだ。火葬場で、ちょうど収まる箱に、エルの体と、先ほどのヒマワリと、一緒に燃やしてもいい、エルが好きだったおもちゃ、そして万猫受けし、エルも例外ではなかった「ちゅ~る」を、エルの前足で抱かせるようにして入れた。そして箱を閉じ、封をして、火葬炉へ続くレーンの上へ置いた。

 住職さんが念仏を唱え始める。あらかじめ火葬炉へ送るスイッチを、促されたら押すように言われていたので、そのタイミングでスイッチを押す。押す瞬間戸惑ったりはしなかったが、寂しさは感じた。

 犬・猫の火葬は、体の大きさ的にすぐ終わるということなので、一度先ほどいた建物へ戻る。 出されたお茶とお菓子をつまみつつ、そこに陳列してあった骨壺のなかの、エルの毛並みの色に似たものを選んだ。また、分骨用といったらいいのだろうか、キーホルダーのような小さなケースも選んだ。このケースがあるというのも、ここに決めた理由の一つだ。

 選び終わってから少しすると、火葬が終わったとのことで、火葬場へ向かう。人間の場合、葬儀をしてから火葬だが、少なくともこの霊園では火葬が先だった……気がする。

 というのも、実はこのあたりの順番の記憶があいまいなのだ。何しろ寝ていなかったし、精神状態も、表面上は平穏だが、当然良い状態ではない。だが、この流れだと記憶の矛盾がないので、おそらく正しいはずだ。

 ともかく、エルの骨が台の上へ並べられていった。そこで思わず「こんな姿になってもかわいい」とこぼすと、妻が「ね、分かる」と答えた。俺はそれが嬉しかった。不思議だが、本当に骨になってもかわいかった。まあ、いまだに家に残している毛玉もかわいいので、エルの痕跡ならもはやなんでもかわいいのだが。

 そうしてエルは骨壺へ収まり、その際に小さな分骨ケース?にも骨を入れ、葬儀が始まる。あらかじめ用意していた写真が飾られ、それが遺影となった。

 住職さんが、火葬場で唱えたものとは別の長い念仏を唱える前に、体をこちらへ向き直して話を始めた。主に仏教の話なのだが、「こんなこと言うと、怒られるかもしれませんが」と交えながら、その人なりの解釈というか、聞いているこちらが救われるような表現と言葉選びで説法をしてくれた。内容もおおむね覚えているが、俺がここで書くことと、それらの体験を経たうえで、その場で住職さんから話を聞くのとではまったく違うので割愛する。

 そうして葬儀が終わり、そのまま霊園へ預けるという選択肢もあったが、家に仏壇を作り、そこへ遺骨を置くことにした。ペット霊園から家へ帰ってからは、本当にあまり覚えていない。寝たのだろうか。朧気にすら思い出せない。しかし、一晩は骨壺を枕元に置いて寝た記憶は残っている。

 確か次の日に、仏壇を作るための諸々を購入しに行った。思っていたよりもあっさりとちょうどよいものが見つかり、写真入れなども購入した。簡素なものかもしれないが、エルの仏壇が完成した。

 「響命」に収録されている「別れの日」が、湧いて出てきたのはこの日の夜、布団に入って寝る直前だった。あの曲は、エルが俺にくれたものだ。そしてこの曲は、命をテーマにした「響命」に入れるべきだと思い、急遽収録することとなった。しかし、この曲はkarteで演奏するために作った曲ではないので、ボーナストラックということにしてある。そしてもう一つの理由として、半永久的に残る音声データという媒体に、エルの存在を残したかったという、本当に個人的なものもある。ジャケットデザインに関しても同様だ。もともと考えていたデザインのなかに組み込む形になった。

 仏壇や写真を見るといまだに涙が滲むが、俺はそれでいいと思っている。いつまでも引きずって進めない云々という話もあるが、俺はそれでいいと思っている。1週間程度は頻繁にボロボロと泣き、次の週も似たような状態、半月が過ぎたころからこぼれる程度に収まるようになり、5カ月が経った今は、こんな文章を書いていても、時折こぼれる程度だ。むしろ、それを寂しくすら思う。俺はその悲しさが薄れていくこと、離れていくことを別に望んでいない。振り切ろうとも思わない。むしろ一生、思い出すたびに泣くくらいでもいいと思っている。

 

 こうして永遠の別れとなった。四十九日にも念仏をあげてくれるということだったので、平日の昼間ということもあり俺一人だったが、その後もう一度ペット霊園へ足を運んだ。その際、すでにレコーディングが終わっていたので、「別れの日」だけを焼いたCD-Rを住職さんに渡した。「何よりの供養です」と言って受け取ってくれたが、聴いてくれただろうか。

 俺はこの時の経験で、いろいろなことを学んだというか、なぜそうなのか、という理由を体感したように思う。なぜ「死」という言葉を避けるのか、なぜ葬儀をするのか、そういった事柄を本当の意味で理解した。それもまた、エルが俺にくれたものだ。別に、別れを前向きにとらえたいとか、そういうことではないのだが、事実としてそう思う。

 俺は「別れの日」に、たくさんのものを得た。失ったものを、いつまでも想ってしまう心もまた、その一つだ。いつまでもそれらを愛でようと思う。いつまでも悲しもうと思う。俺は、そうやって生きていきたい。

響命

 今年10月10日にリリースしたアルバム「響命」は、「命」がテーマになっている。俺が作るほとんどの曲は、ある程度「生」と「死」のテーマをはらんでいることが多いが、今回はそれをメインに置いてアルバムを作った。

 アルバムに入っている曲の中に、一貫させている一つの思想がある。それは、「命そのものや、それによって生み出されたものに、意味や価値の有り無しはなく、善悪もない」ということ。そして、「自分はただ、生きようという体の働き、本能によって生きている」ということ。

 なんだか小難しいけれど、意外とシンプルな話でもある。生死を決めるのは、その価値や善悪ではなく、肉体に生きようとする本能が残っているかどうかだ。それらを失って死へ向かうことですら、種全体の視点から見れば、生へ向かっているように俺は思う。個人の視点に縛られなければ、この世に生を受けた時点で、命はひたすら生に向かっている。

 そして重要なのは、基本的に人は生を美化する。死を美化する側面もあるが、それも結局のところ、強烈に生を感じるエピソードには、死が絡んでいるからだと思う。「"命は素晴らしい"と思えない」という考えも、おそらくそのほとんどは「本当は"素晴らしい"と感じるべきであるのに」という本能に即したものが背景にあるからだろう。本当に超えていたとしても、多様性の側面から見れば、それすらも生に向かっている。結局のところ、生きていても、あるいは死んでしまったとしても、この世に生を受けた時点で、生に向かっていることからは逃げようがない。

 じゃあその美化が善いか悪いかといえば、それは文頭の「意味や価値の有り無しや、善悪はない」に戻る。簡単にまとめれば、「いろいろあるけど、本能に従っていけばいいんじゃないの」ということだ。

 ただ俺は基本的に、俺が作詞した曲を聴く人には生きていてほしいなと思っている。だから「響命」になった。そもそも、生き死にで頭を悩ませるような人は、自身の命に意味や価値を見出せないことがその大きな要因の一つになっていることが多い。だから「腹が減るなら本能に従って飯を食え」「腹減らなくても"あ、食べなきゃ"と思ったら、それも本能だから飯を食え」ということを伝えたい。意味や価値はすべての人間や生き物に等しく「無い」と思っている。だからそれで悩む必要もない。

 とはいえ、はいわかりましたといかないのが難しいところ。意味や価値などないと書きつつ、意味や価値を見出すために創作活動をやっているわけだし、言っていることとやっていることが大いに矛盾している。でも、そこが面白いところでもある。それに、それこそが「生きている」と実感させ、本能に加えて自分の意志までが生へ向かうことにつながる。

 まぁそれすらも意味や価値のないことではあるのだが、意味や価値を見出そうとし、よりよく生きたい、よりよく死にたいと思うこともまた、本能なのだと思う。意味や価値がないから何もしないのではない。意味や価値が重要なのではなく、意味があろうがなかろうが「やりたいなら、やればいい」、それだけで十分だと思う。ちなみに、倫理観も本能の副産物であるので、そのあたりの考えは面倒なので省く。というか補完できない人は俺のブログ読むの向いてない。

 

 そんなこんなでアルバムの製作中だったのだが、その期間中に我が家の愛猫が逝った。その出来事がアルバムに絡んでくる話もあるが、それはまた後日。

捻くれ者の生き方は

 俺に「憧れの存在だ」と言ってくれる人が稀にいる。嬉しくないわけではないが、一言ではなんとも言い表しづらい感情になる。

 「そんなことない。俺はとんでもないクズだ。ほら見てくれ!」と、以前Twitterか何かで見たような、こんな気持になる。実際にその場でクズエピソードを羅列するわけではないが、そうしたいような、その幻想をぶち壊したいような、そんな衝動に駆られる。

 俺は承認欲求が強いように思う。誰かに認めてもらいたくて、自分でなければならない何かが欲しくて、今を生きているような気がする。だから、憧れてもらうなんてことは、それが叶えられた瞬間でもあるはずなのに。

 ただ素直じゃないだけなのだろうか。その言葉をそのまま受け取れずにいるだけなのだろうか。確かに、全部は本当じゃないかもしれない。でも、きっと本当も十分に含まれているだろう。とすれば、「誰かに認めてもらいたい」のではなく、自分自身が自分自身に対して認められて然るべきだという評価を下してもらいたい、ということなのかもしれない。

 結局、自分を救うことができるのは自分だけだなとはよく思う。俺は自分の中の絶対評価に縛られて、人からの評価を聞いているようで聞いていないのだろうか。とんでもなく失礼な話なのだけど、多分それが事実だ。きっと、本当にそうなのだなと、自分を納得せざるを得ない状況にまで持って行けない限り、これから逃げることはできない。あるいは、そういう状況にまで持って行っても、今度は評価のラインを引き上げ始めるかもしれない。もしそうなら、救われる日は来ない。

 でも、それもまたよし。俺は、満足できなくても、納得できればいいと思っている。まぁ正直、そうするしかないという面もある。ただ、間違っているとも思わない。仮に間違っていると言われても、それこそその自分の中の絶対評価が、俺をブレないように縛り付けてくれるはずだ。

 しかし、その「憧れ」をぶち壊したくなる感情に関してはよく分からない。実際にぶち壊すわけではないので、別にどうでもいいと言えばどうでもいいのだけれど、その気持ちは一体どこから来るのか。思われる分には何一つ損をしないはずなのに。

 重荷のように感じてしまうのだろうか。あるいは、蔑まれることを望むマゾなのか。それとも他の何かだろうか。今思い当たるとすれば、それこそ、自分の中の絶対評価に縛られている可能性がここでもまた出てくる。

 つまり、そのラインに達していない自分は、評価されるべきではないという考えだ。これは感情の問題なので理屈は通じない。客観的にどうであるかは、そこでは問題にならない。仮にそうだとすると、恥を感じるのも納得できる。それは照れとは違う。

 まだいろいろ続けれそうだが、疲れたからもうやめる。

見る

 ライブ前日(当日)、県外でのライブなので早めに寝ようと布団に入る。しかし、布団に入って約1時間後に眠気のピークが来た辺りで、同時に猛烈な腹痛に襲われた。下痢である。

 原因は不明だが、下痢になることはしょっちゅうあるので、別にそれ自体は慣れているし問題ではない。そういう体質なのだろうとしか思っていない。問題なのは、それによって夜間の貴重な眠気が消え去ってしまったことだ。こういったことはちょくちょく起きるのだが、俺はとにかく寝つきが悪いので本当に困る。

 さて、その後5時間あまり布団の中で目をつぶって眠ろうとねばってみたが、案の定眠れないので、耐えられなくなって起きてきた。そして何となく思い立って、久しぶりにブログを書くことにした。

 俺はライブを見るとき、そのライブを見ているようで、実はあまり見ていないような気もする。というのも、「見ている」というよりも「聴いている」からだ。ステージ上でのパフォーマンスや曲間のMC、演出なども見てはいるが、他のライブを見ている人よりも、それに割く意識のソースは少ないのではないだろうか。

 何に一番意識ソースを割いているかというと「曲を聴く」ことだ。ステージ上でのパフォーマンスやMC、演出なども含めてがライブだというのは当然なのだが、俺の場合は「演奏している曲が良い曲なのかどうか」を聴いて判断することに、ほとんどのソースを割いている。だから、ライブそのものに迫力があるとか、ホールを盛り上げているとかは、少なくとも自分が一人の客としてライブを見る際にはほとんど気にしない。というか、興味がない。

 ライブ会場というのは大抵の人にとって非日常の場であり、楽しみ方も千差万別だ。だから、曲の良し悪し(好みと言ってもいい)よりも、パフォーマンスや演出という、ライブでしか見れないものを見ることこそが重要だと考える人も多いと思う。というか、そう考える人のほうが多いのではないだろうか。だから、自分が演者となる際にはそれは意識している。あくまで、自分が一人の客としてライブを見る際に、何に重きを置いて見ているか、という話だ。

 ひたすら繰り返しになるが、そういうことなので、少なくとも自分が一人の客としてライブを見る際には、どれだけ迫力があっても、盛り上がっていても、演者としてこんなふうになりたいなとは思っても、一人のお客としてはどうでもいいと思っている。逆に言えば、どれだけ棒立ちのライブでも、演奏が下手くそでも、曲が良い(好き)と思えばCDを買う。ただ、曲が良い場合はライブもそれなりに良い場合がほとんどなので、そういった場面はあまりないように思う。まぁ、曲の印象にライブの印象が引っ張られているだけかもしれないが。

 とはいえ、曲が良いことに加えて、ライブそのものにも迫力があったほうがいいに越したことはない。曲の良し悪しに重きを置くと言っても、やはり「ライブ」を見に来ているからだ。まぁなんにせよ、結局演者としてはそうあるべきなのだけれど、この演者としての意識が、ただ純粋にライブを見たいときに、毎回とても邪魔になる。この話はまた長くなるので、そのうちに。

透明人間

 ずいぶん前、俺が小学2年生か3粘性くらいの頃の話。

 朝のホームルームで、担任の先生が話し始めた。

「昨日、怪我から退院したクラスメイトの〇〇さんが、松葉杖をついて登校してきた。このクラスのほとんどの昨日の日記は、それに対して「かわいそうだ」と書いているものばかりだったが、✖✖さんだけは「頑張っているな」と書いていた。これは素晴らしいことだ。」

 つまり、「怪我をただ憐れむのはよくない。その状態で奮闘していることを評価すべきだ。」というようなことを言いたかったのだろうと思う。

 俺はあの話を聞いたとき、何を思っただろうか。はっきり言って覚えていない。何を言いたかったのか、当時は漠然としか分からなかったはずだ。ただ、このときの話はずっと覚えている。なんとなくだが、その原因と思われるものがある。

 俺は晩飯がどうだったとか、その子と全く関係のないことを、その日の日記に書いていた。

コックピット

 俺は歩けなかった頃の気持ちを思い出せない。自転車に乗れなかった頃の気持ちを思い出せない。多分ほとんどの人がそうだと思う。自分ができなかった頃の気持ちは、できるようになって、さらにそれに慣れてしまったが最後、もう思い出すことができなくなるのだろうと思っている。誰でも、何事も、最初からやれるわけがないのに、できない様子を見ているだけでイライラしたりしてしまう。

 傷ついた人が、他人に優しくできるかというと、どちらかというとそうではない場合が多いのではないかな。むしろ臆病になったり、攻撃的になったりすることは十分に起こりうる。傷ついているということは、イコールではないかもしれないけれど、精神的に不安定な状態にあるということ。精神的に不安定な状態にあるときに、人に優しくしたりする余裕はないし、「他人は基本的に敵だ」という思考に流されやすくなって、人を傷つけてしまうことも間違いなくある。

 では回復後に、それらの経験から優しくできるのかというと、別にそうでもないように思う。そして、自分が精神的に不安定な状態にあったときと同じような状態にある他人を見ても、気持ちが分かるかといえば、結局よく分からない。他人なのだから、その人がどう思っているかなんて分かるわけがないのだけれども、同じような経験をしたのだから、慰めの一言でもかけてあげれそうな気がしていたけれど、そんなことはなかった。辛かったという「記憶」だけがあって、そのときの「気持ち」を思い出すことはできない。

 慰めてあげるどころか、その姿を見てイライラしてしまうことすらある。「どうしてそうなんだ」とか、自分がその状態にあったときに言われたくない言葉達が頭をよぎる。だからその瞬間に、それを言ってしまう人の気持ちは理解できる。でも、いざ自分がまた不安定な状態に陥ったときにそれらを言われたら、それは自分をさらに傷つけ、追い詰めるために言っているのではないかというふうに感じてしまう。言う側だった頃(言わないけど)に、「傷つけてやろう」なんて思ってなかったのに。

 ただ、「気持ち」そのものを思い出せなくても、そのときに何を考えていたかという「記憶」を覚えていれば、あるいは残していれば、共感できなくとも理解はできる。理解できれば、いわゆる「優しい」と言われる立ち振る舞いをすることができるのではないかなと思う。

 残念なことに、本当に「こいつを傷つけてやりたい」と思って発言する人もいる。というか、誰でも一度はそういう瞬間を体験していると思うので、人間はみなそうだとも言える。嫌なことをされたり、嫌いな人だったりすると、言い負かしたり、傷つけたりして、自分の気持ちを晴らしてやろうという発想のもと、言葉を発したくなる瞬間はある。

 厳密には、発想と言えるほど意識のもとにはないと思う。条件反射というか、とっさに手が出るようなものと同じで、とっさに口が出るというだけの話だろうな。それをしたくなかったからか、俺は発言をする際に一呼吸置くようになった。自分の言おうとしていることが、「こいつを傷つけてやりたい」という気持ちから来ているものではないかを確認するために、その一呼吸が俺には必要。

 ある程度は、人を傷つけるために言う言葉の発言を制御できているのではないかなと思う。もちろん感情が昂っていることもあるわけだから、100%ではないだろうけれど、少なくとも言い方を丸くする程度の抑制は効いている。

 丸くするというのは皮肉にしたりするわけではない。皮肉こそ、人を馬鹿にした、人を傷つけるためだけにある言葉だと思っている。皮肉は、言われたその人が皮肉だと気づかれなければ、言ったほうは鼻で笑ってその人を馬鹿でき、その人が皮肉だと気づかれても、「捻くれた受け取り方をするなよ」なんて言って、相手だけが感情を制御できていないかのようにかわすこともできる。そうやって、感情的な議論だか言い合いだかを、自分の「勝ちの体制」で終わらせることにこだわっている自分に気付かず、それを恥じれない時点で語るに値しない。まあこういう評価で見下すのもまた、同じようなものかもしれないけれど、「自分が上だ」という自尊心にしがみつきたいだけの、子供の駄々のようなものだ思っている。

 近年思っているのだけれど、怒ると無口になる人の中には、人を傷つける言葉を自分の中で抑えつけているものの、怒っていることを伝えつつ、しっかりと自分の気持ちと意見を主張する言葉が見付からない事が理由になっている人も多くいるのではないかな。当然その言葉が見付からなければ、人を傷つけないためには黙るしかない。言い返せないとか、黙って嵐が過ぎるのを待っているとか、そういうことではないこともあるのではないかな。「この人は自分を傷つけないように、一生懸命いい言葉を探しているのかも」と思うと、怒っていてもなんだか許せてしまうかもしれない。

今日は蕎麦が食べたいのだ

 ライブをやっていると、当然ながらそのたびに新しい音楽に出会う。これだから対バンは本当に面白い。そして、その中で「この人(達)の曲は普通ではない。何かが違う」と感じる時がある。

 これが才能なのだろうかと思うが、正直はっきりとは分からない。はっきりと共通しているのは"良い"と感じることだ。そして同時に悔しさもある。どうして自分にはこの曲が作れなかったのだろうかと、彼らのような人種と出会う度に思う。

 俺は楽曲を比較するのが基本的に嫌いだ。無理やり比較することはできるかもしれないが、不毛だ。"良い"と感じる楽曲に関して、そこに優劣はほぼ感じない。「今日はカレーが食べたい気分」「今日は蕎麦が食べたい気分」といったものと同じで、それぞれがそれぞれで好きだからだ。そのくせに、自分の曲とは比較してしまう。そして穴があったら入りたいような状態に陥る。ただ、最近はその気持ちがいくらか薄れつつある。"良い"と言ってくれるファンの存在があるからだ。

 ファンから貰う評価は絶対的だ。俺のような作曲者側の頭に潜んでいる(たぶん曲を作る人は、程度の差はあれど人の曲を聴いて悔しさや恥ずかしさを感じることがある……と思う。)相対評価というバイアスが、ゼロではないかもしれないが、ほとんどかかっていないからだ。そのため、その人にとって"良い"ものを提供できたのだ、という事実が確認できる。

 「~と比較して良いと思いました。」なんて言ってくる人は、たぶんいない。実際に俺が"すごく良い"と思う楽曲を提供している人に対して「すごく良かったです!」と言うときに、「~と比較して良いと思ったから評価しよう」なんて思ったことがない。とにかく、"良い"から"良い"のだ。混じり気のない"良い"という感想を伝えたくなって、それを伝えることができて、そしてそれに対して「ありがとう」の言葉をもらえたときは、さすがの俺も幸福だと感じる。そしてそれは、ファンから自分たちへ対する評価に関しても同様なはずだ。

 自分自身の"良い"と思える感情に素直になってからは、「彼らは彼らで"良い"ものを持っており、自分たちは自分たちで、例え数がまだ多くなくとも"良い"と感じてもらえるものがあるのだ。」と考えることができるようになってきた。もちろん、完全に振り払えるわけではない。それはおそらく不可能だろうし、時にはそういったものが創作意欲につながることもあるので、あってもいいのだと思う。

 "素直になってからは"というのは、昔は"良い"と感じることよりも、"悔しい"と感じる気持ちのほうが大きかったからだ。あるいは邪魔していたとも言える。もちろん今でも悔しさはあるが、それはそれ、これはこれと分けて考えることができるようになった。

 穴があるとすれば、そのファンからの評価がお世辞だった場合だ。なんとも卑屈な考えかもしれないが、多かれ少なかれ、それも事実の一つなのは間違いない。ただ、いつからか俺は"良い"という言葉通りに受け取るようになった。というか受け取るしかない。「お世辞なのでは……?」という気持ちが全く無いわけではないが、無視してよいレベルだ。早い話が、"お世辞対策"なんて、自分たちが思う"良い"ものを作る以外にないからだ。

 もちろん、評価されているのであれば全て現状でよい、というわけがない。"良い"という評価は、様々な要因によって揺らぎやすいものであるし、改善点がないものなどない。そして、音楽を生業としたいのであれば、そう評価してくれる人数を増やしていかなければならない。そのためには……が書けるほど分かっていれば、そして実践できれば、誰も苦労しない。