いつも限界に近い

しがないバンドマンの随筆

コックピット

 俺は歩けなかった頃の気持ちを思い出せない。自転車に乗れなかった頃の気持ちを思い出せない。多分ほとんどの人がそうだと思う。自分ができなかった頃の気持ちは、できるようになって、さらにそれに慣れてしまったが最後、もう思い出すことができなくなるのだろうと思っている。誰でも、何事も、最初からやれるわけがないのに、できない様子を見ているだけでイライラしたりしてしまう。

 傷ついた人が、他人に優しくできるかというと、どちらかというとそうではない場合が多いのではないかな。むしろ臆病になったり、攻撃的になったりすることは十分に起こりうる。傷ついているということは、イコールではないかもしれないけれど、精神的に不安定な状態にあるということ。精神的に不安定な状態にあるときに、人に優しくしたりする余裕はないし、「他人は基本的に敵だ」という思考に流されやすくなって、人を傷つけてしまうことも間違いなくある。

 では回復後に、それらの経験から優しくできるのかというと、別にそうでもないように思う。そして、自分が精神的に不安定な状態にあったときと同じような状態にある他人を見ても、気持ちが分かるかといえば、結局よく分からない。他人なのだから、その人がどう思っているかなんて分かるわけがないのだけれども、同じような経験をしたのだから、慰めの一言でもかけてあげれそうな気がしていたけれど、そんなことはなかった。辛かったという「記憶」だけがあって、そのときの「気持ち」を思い出すことはできない。

 慰めてあげるどころか、その姿を見てイライラしてしまうことすらある。「どうしてそうなんだ」とか、自分がその状態にあったときに言われたくない言葉達が頭をよぎる。だからその瞬間に、それを言ってしまう人の気持ちは理解できる。でも、いざ自分がまた不安定な状態に陥ったときにそれらを言われたら、それは自分をさらに傷つけ、追い詰めるために言っているのではないかというふうに感じてしまう。言う側だった頃(言わないけど)に、「傷つけてやろう」なんて思ってなかったのに。

 ただ、「気持ち」そのものを思い出せなくても、そのときに何を考えていたかという「記憶」を覚えていれば、あるいは残していれば、共感できなくとも理解はできる。理解できれば、いわゆる「優しい」と言われる立ち振る舞いをすることができるのではないかなと思う。

 残念なことに、本当に「こいつを傷つけてやりたい」と思って発言する人もいる。というか、誰でも一度はそういう瞬間を体験していると思うので、人間はみなそうだとも言える。嫌なことをされたり、嫌いな人だったりすると、言い負かしたり、傷つけたりして、自分の気持ちを晴らしてやろうという発想のもと、言葉を発したくなる瞬間はある。

 厳密には、発想と言えるほど意識のもとにはないと思う。条件反射というか、とっさに手が出るようなものと同じで、とっさに口が出るというだけの話だろうな。それをしたくなかったからか、俺は発言をする際に一呼吸置くようになった。自分の言おうとしていることが、「こいつを傷つけてやりたい」という気持ちから来ているものではないかを確認するために、その一呼吸が俺には必要。

 ある程度は、人を傷つけるために言う言葉の発言を制御できているのではないかなと思う。もちろん感情が昂っていることもあるわけだから、100%ではないだろうけれど、少なくとも言い方を丸くする程度の抑制は効いている。

 丸くするというのは皮肉にしたりするわけではない。皮肉こそ、人を馬鹿にした、人を傷つけるためだけにある言葉だと思っている。皮肉は、言われたその人が皮肉だと気づかれなければ、言ったほうは鼻で笑ってその人を馬鹿でき、その人が皮肉だと気づかれても、「捻くれた受け取り方をするなよ」なんて言って、相手だけが感情を制御できていないかのようにかわすこともできる。そうやって、感情的な議論だか言い合いだかを、自分の「勝ちの体制」で終わらせることにこだわっている自分に気付かず、それを恥じれない時点で語るに値しない。まあこういう評価で見下すのもまた、同じようなものかもしれないけれど、「自分が上だ」という自尊心にしがみつきたいだけの、子供の駄々のようなものだ思っている。

 近年思っているのだけれど、怒ると無口になる人の中には、人を傷つける言葉を自分の中で抑えつけているものの、怒っていることを伝えつつ、しっかりと自分の気持ちと意見を主張する言葉が見付からない事が理由になっている人も多くいるのではないかな。当然その言葉が見付からなければ、人を傷つけないためには黙るしかない。言い返せないとか、黙って嵐が過ぎるのを待っているとか、そういうことではないこともあるのではないかな。「この人は自分を傷つけないように、一生懸命いい言葉を探しているのかも」と思うと、怒っていてもなんだか許せてしまうかもしれない。