いつも限界に近い

しがないバンドマンの随筆

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 ライブ前日(当日)、県外でのライブなので早めに寝ようと布団に入る。しかし、布団に入って約1時間後に眠気のピークが来た辺りで、同時に猛烈な腹痛に襲われた。下痢である。

 原因は不明だが、下痢になることはしょっちゅうあるので、別にそれ自体は慣れているし問題ではない。そういう体質なのだろうとしか思っていない。問題なのは、それによって夜間の貴重な眠気が消え去ってしまったことだ。こういったことはちょくちょく起きるのだが、俺はとにかく寝つきが悪いので本当に困る。

 さて、その後5時間あまり布団の中で目をつぶって眠ろうとねばってみたが、案の定眠れないので、耐えられなくなって起きてきた。そして何となく思い立って、久しぶりにブログを書くことにした。

 俺はライブを見るとき、そのライブを見ているようで、実はあまり見ていないような気もする。というのも、「見ている」というよりも「聴いている」からだ。ステージ上でのパフォーマンスや曲間のMC、演出なども見てはいるが、他のライブを見ている人よりも、それに割く意識のソースは少ないのではないだろうか。

 何に一番意識ソースを割いているかというと「曲を聴く」ことだ。ステージ上でのパフォーマンスやMC、演出なども含めてがライブだというのは当然なのだが、俺の場合は「演奏している曲が良い曲なのかどうか」を聴いて判断することに、ほとんどのソースを割いている。だから、ライブそのものに迫力があるとか、ホールを盛り上げているとかは、少なくとも自分が一人の客としてライブを見る際にはほとんど気にしない。というか、興味がない。

 ライブ会場というのは大抵の人にとって非日常の場であり、楽しみ方も千差万別だ。だから、曲の良し悪し(好みと言ってもいい)よりも、パフォーマンスや演出という、ライブでしか見れないものを見ることこそが重要だと考える人も多いと思う。というか、そう考える人のほうが多いのではないだろうか。だから、自分が演者となる際にはそれは意識している。あくまで、自分が一人の客としてライブを見る際に、何に重きを置いて見ているか、という話だ。

 ひたすら繰り返しになるが、そういうことなので、少なくとも自分が一人の客としてライブを見る際には、どれだけ迫力があっても、盛り上がっていても、演者としてこんなふうになりたいなとは思っても、一人のお客としてはどうでもいいと思っている。逆に言えば、どれだけ棒立ちのライブでも、演奏が下手くそでも、曲が良い(好き)と思えばCDを買う。ただ、曲が良い場合はライブもそれなりに良い場合がほとんどなので、そういった場面はあまりないように思う。まぁ、曲の印象にライブの印象が引っ張られているだけかもしれないが。

 とはいえ、曲が良いことに加えて、ライブそのものにも迫力があったほうがいいに越したことはない。曲の良し悪しに重きを置くと言っても、やはり「ライブ」を見に来ているからだ。まぁなんにせよ、結局演者としてはそうあるべきなのだけれど、この演者としての意識が、ただ純粋にライブを見たいときに、毎回とても邪魔になる。この話はまた長くなるので、そのうちに。