いつも限界に近い

しがないバンドマンの随筆

今日は蕎麦が食べたいのだ

 ライブをやっていると、当然ながらそのたびに新しい音楽に出会う。これだから対バンは本当に面白い。そして、その中で「この人(達)の曲は普通ではない。何かが違う」と感じる時がある。

 これが才能なのだろうかと思うが、正直はっきりとは分からない。はっきりと共通しているのは"良い"と感じることだ。そして同時に悔しさもある。どうして自分にはこの曲が作れなかったのだろうかと、彼らのような人種と出会う度に思う。

 俺は楽曲を比較するのが基本的に嫌いだ。無理やり比較することはできるかもしれないが、不毛だ。"良い"と感じる楽曲に関して、そこに優劣はほぼ感じない。「今日はカレーが食べたい気分」「今日は蕎麦が食べたい気分」といったものと同じで、それぞれがそれぞれで好きだからだ。そのくせに、自分の曲とは比較してしまう。そして穴があったら入りたいような状態に陥る。ただ、最近はその気持ちがいくらか薄れつつある。"良い"と言ってくれるファンの存在があるからだ。

 ファンから貰う評価は絶対的だ。俺のような作曲者側の頭に潜んでいる(たぶん曲を作る人は、程度の差はあれど人の曲を聴いて悔しさや恥ずかしさを感じることがある……と思う。)相対評価というバイアスが、ゼロではないかもしれないが、ほとんどかかっていないからだ。そのため、その人にとって"良い"ものを提供できたのだ、という事実が確認できる。

 「~と比較して良いと思いました。」なんて言ってくる人は、たぶんいない。実際に俺が"すごく良い"と思う楽曲を提供している人に対して「すごく良かったです!」と言うときに、「~と比較して良いと思ったから評価しよう」なんて思ったことがない。とにかく、"良い"から"良い"のだ。混じり気のない"良い"という感想を伝えたくなって、それを伝えることができて、そしてそれに対して「ありがとう」の言葉をもらえたときは、さすがの俺も幸福だと感じる。そしてそれは、ファンから自分たちへ対する評価に関しても同様なはずだ。

 自分自身の"良い"と思える感情に素直になってからは、「彼らは彼らで"良い"ものを持っており、自分たちは自分たちで、例え数がまだ多くなくとも"良い"と感じてもらえるものがあるのだ。」と考えることができるようになってきた。もちろん、完全に振り払えるわけではない。それはおそらく不可能だろうし、時にはそういったものが創作意欲につながることもあるので、あってもいいのだと思う。

 "素直になってからは"というのは、昔は"良い"と感じることよりも、"悔しい"と感じる気持ちのほうが大きかったからだ。あるいは邪魔していたとも言える。もちろん今でも悔しさはあるが、それはそれ、これはこれと分けて考えることができるようになった。

 穴があるとすれば、そのファンからの評価がお世辞だった場合だ。なんとも卑屈な考えかもしれないが、多かれ少なかれ、それも事実の一つなのは間違いない。ただ、いつからか俺は"良い"という言葉通りに受け取るようになった。というか受け取るしかない。「お世辞なのでは……?」という気持ちが全く無いわけではないが、無視してよいレベルだ。早い話が、"お世辞対策"なんて、自分たちが思う"良い"ものを作る以外にないからだ。

 もちろん、評価されているのであれば全て現状でよい、というわけがない。"良い"という評価は、様々な要因によって揺らぎやすいものであるし、改善点がないものなどない。そして、音楽を生業としたいのであれば、そう評価してくれる人数を増やしていかなければならない。そのためには……が書けるほど分かっていれば、そして実践できれば、誰も苦労しない。