いつも限界に近い

しがないバンドマンの随筆

余暇ある故に 追記

 俺は結構原理主義的というか、「かくあらねばならぬ」をいろいろなものに対して思っている。ただ、「そうは言っても現実的にはこうだよね」という対処をいつもしているので、はたから見てもあまりそういう人間には見えないのではないかなと思う。

 一番よくあらわれるのは、「音楽は聴くものだ」という考え。そりゃそうだろうと思うだろうが、音楽は広い目で見ると結構視覚的だ。実のところ、聴いているようで観ている場面は意外と多い。

 たいていのバンドがライブをやるが、あれは意識のだいたい半分かもしくはそれ以上が、聴いているのではなく観ているのではないだろうか。曲や歌詞や音の良しあしは、演者の見た目やパフォーマンスや照明などでずいぶん印象が変わる。見た目がかっこよかったり、動きが派手だったりすると、なんとなく音楽も良い気がしてくる。PV等も同じことが言える。

 これは当たり前のことだし、当然やる側もそこに力を入れたほうが有利だと理解してやっている。音楽活動で収入を得ようと考えているならなおさらだ。むしろ率先してやるべきことの一つ。しかもこれらは、金銭や手間が多少かかったとしても、すぐにやれることだし損にならない。音楽に力を入れるだけでそのあたりのことに注視しない人は、間違いなく不利だと言える。

 しかし俺の場合、これらは「現実的にはこうだよね。こうすべきだよね」という部分であって、本当はどうでもいいと思っている。あくまでこれは俺の中のことなので、誰もがこう考えるべきだとかはみじんも思わないし、むしろやるべきことをしっかりとやっていて、本当に素晴らしいことだと思う。しかし、いざ自分が実践するとなると、なんとなく気分が悪くなってしまう。

 「音楽の良しあしに、そのほかの情報が影響を及ぼしてほしくない」という考えが、自分の根底にあるのだと思う。前述の例などによって、本来されるべき評価を不当に上げているように感じてしまう。早い話が、「ズルしている」「不純である」ということだ。

 PVに可愛い女の子が出てくるほうが評価は上がるし、SNSにカッコいい、可愛い写真をあげたほうがフォロワーは増える。しかし、俺は心のどこかでそれらに気持ち悪さを感じてしまう。見るだけならどうでもいいが、いざ自分がやるとなるともやもやとする。

 しかし、そんな外的要因をすべて排除した絶対値的な音楽の評価なんて、現実的には不可能だ。それに、美術と欲望は切り離せないものであるように、やはりいろいろな要因が「良い」と感じる中に入ってしまうのだ。そしてそれは、やる側なら狙うべきことだ。そう感じてもらうことこそ重要だというのも間違いない。聴く側、観る側のことを考えるのであれば、それらも含めてクオリティだ。良いものを更に良いと感じられるものにする、またその機会を提供する、それこそ本当に目指すところではなかろうか。

 とはいえ、しかし、けれども、となってしまうのが困ったところ。そのループをずっと繰り返している。ひとまず、反射的に感じる不快感は制御できないのであきらめた。そう感じるのは寛大さに欠く気もするし、実はそれこそ大切にしなければならないもののような気もする。音楽の定義が狭いのではないかという気もするし、そうやって不快感に引っ張られることこそ不当な評価の要因だという気もする。

 加えて、その不快感を感じるかどうかも、どういう作品かによる。なんというか、音楽をさらに昇華させる内容ものは好きなのだが、別の要素を添加するタイプのものはあまり好きではないのだろう。俺が感じる不快感の本質の部分は、ここに隠れているのだろうと思う。

 なんにせよ、音楽で収入を得たいなら「四の五の言わずにやれることを全部やれ」なのは間違いない。逆に言えば、そうでない場合は無理してやる必要はない。そしてその分のリソースをすべて音楽に注ぎ込むことでこそ、素晴らしい作品が……いや……しかし……でも……だって……。これこそ時間の無駄だろうか?

 

 

 記事をアップしてから読み返していると、なんか違うなーと思ったので少し考えてみたところ、なんとなくその違和感の正体が分かってきた。

 まず、ライブの良さと曲の良さはイコールではなく、またそれらは一つひとつが作品として独立している。「音楽は聴くものだ」ではなく「曲は聴くものだ」で、「ライブは観て聴くものだ」だ。そして「音楽」はそれら全体を指す。PV等に関しても同じだ。

 あと、不快感の正体はおそらく性欲だ。いきなりフロイトみたいなことを言い始めたが、どうやら間違いない。少なくとも、原理主義だとか、「音楽の良しあしに、そのほかの情報が影響を及ぼしてほしくない」だとか、そんな高尚なものではなかった。まぁ俺が原理主義者的であること自体は間違いないが。

 細かいことは省くが、昔いろいろあったからか、俺は直接的ではない方法で性欲を刺激するものに対してどこか不快感を覚える傾向がある。加えて、つまりそれはむっつりスケベでるのではないかという説も出てきた。

 例えば可愛い女の子が出てくるPVなんかは、直接的でない方法で性欲が刺激されるコンテンツであるが、それは「うひょひょ可愛いのう」と感じることが評価につながるというよりも、もっと本能的な、反射的なものだと思う。例えば出てくる女の子や男の子が可愛いかったりかっこよかったりするものと、そうでないものを比較すると、それ自体が演出である場合を除いて、たいていは前者のほうが評価される。それは観た人が考えた結果ではなくて、感じた結果だ。

 おそらくは、それが下駄だと感じる部分だ。そもそも可愛い可愛くないと性欲が刺激されるかどうかは別でしょと言われたら瓦解するのだが、俺はフロイトが好きなのでひとまずそこには目をつぶる。そういう意味では、性欲が影響するなんてことはあって当然のものとして認めていると言ってもいい。

 これこそが不快感の正体だろう。別に商業音楽が好きじゃないわけでもない。エロ本も読むし下ネタも好きだが、直接的にその作品の内容とは関係のない部分で性欲を刺激するコンテンツは嫌いなのだ。それが添加されていると不快感を感じてしまうのだ。正しくは、「音楽の良しあしに、性欲が影響を及ぼしてほしくない」だった。

 いや正体が分かったなぁと思ったところで、前述のとおりむっつりスケベ説が浮上してきた。つまり俺は、誰も気にしないような部分で性欲が刺激され(自覚する程に)、刺激されるがゆえに不快感を感じているということだからだ。書かなきゃよかったこんな話。