いつも限界に近い

しがないバンドマンの随筆

過去へ

 俺には幼いころの記憶がほとんどない。幼いころどころか、中高生くらいまでの記憶は、断片的にしか思い出すことができない。

 思い出そうとしてある程度思い出せるのは、高2後期~高3くらいのころからだろうか。一人暮らしを始めたのがこの時期だ。一人になってようやく、自我に目覚め始めたのだろうか。

 正直に書くと、記憶がほとんどない理由はなんとなく分かっている。ただ、どう書いても誰かのせいにしてしまうようなことしか書けない。俺にとってそれはなんとなくダサいことなので、記憶の薄い変な奴とでも思ってもらいたい。

 断片的に思い出せるエピソード、あるいは人物は、自分にとってとても大切か、忘れたいのに忘れられないかの、両極端にある。忘れたいのに忘れられないことは、まぁどうしようもないのでいいとして、ここ最近、自分にとってとても大切な部分にいる人物たちの顔が見たくなった。というわけで、そういった人たちの所在や連絡先を調べてみようと思い立った。

 ところが、思い出した一人目でいきなり手こずっている。俺が中学生くらいのときに、母親の知人のところに間借りして住んでいた青年で、俺が母親に連れられてその知人の家へ行ったときに、その青年に遊んでもらったり、本を貸してもらったり、悩みを聞いてもらったりした覚えがある。

 あるとき、彼から彼自身が書いた日記をもらった。内容としては、本当に赤裸々というか、まったく飾らないというか、こんなものを人に読ませていいのかと思うような、本物の日記だった。

 俺はそれを読んで、彼が自分と同じように悩んできたことや、いろいろな経験や思案をしてきたことを知り、親近感を覚えるとともに、どこか救われた。俺も「日記を書いてみよう!」と思い立ったが、三日坊主で終わってしまったのを覚えている。

 ところがその彼の連絡先がまったくわからない。実を言うと名前も覚えていなかったが、その貰った日記をまだ大切に持っており、そこに書かれていたのだ。現在、その名前からどうにか見つけられないかと調べている最中だ。FacebookTwitterでは見つけられなかった。しかしその知人らしき人を発見したので、コンタクトを試みている。

 実を言うとほかにもたどるルートはあるのだが、なんというか、できる限り自分の力だけで、一人で、個人で、その人と向き合ってみたいために、こういった回りくどい方法を取っている。とはいえ、どうしても無理な場合はそのルートをたどるのも吝かではない。

 最近引っ越したのだが、それが落ち着いたことも相まって、なんとなく過去の清算のようなことをしたくなったのだと思う。そしてこれは、「まぁ機会があれば」という気持ちで放っておくと、おそらくずっとそのままになってしまい、最後は文字通り死別してしまうだけだろう。鉄は熱いうちに打て、だ。