いつも限界に近い

しがないバンドマンの随筆

天才バカボン

 夢を見た。

 俺は小学校高学年くらいで、四つ上の兄(夢の中だけではなく実際に存在する)と一緒に親戚か誰かの家に遊びに来ていた。その家はとてつもなく大きくて、庭が小学校のグラウンドくらいある。どういう話の流れだか、そこに25ⅿプールの半分くらいのサイズのプールを作ろうという話になった。

 俺はタイルやパイプなどの部品を集めてきて、兄が穴を掘り、二人で部品を組み立てたりタイルをはったりして、しばらくすると完成した。そんなんで完成するわけないのだが、夢の中なので無事完成した。親戚のおじさんやおばさん、子供たちもいたが、なぜか二人だけで作業していた。

 出来上がったばかりのプールで、親戚の子供たちが遊び始める。当然自分も小学生であるから、一緒になって遊んだ。そしていつの間にか夕方になり、その日はお開きとなった。

 後日、なぜだか俺一人でその家に居た。すると、親戚が言うにはどうもプールの調子が悪いらしい。作った手前、修理をすることになった。道具や予備の部品もあったので、少し手こずりながらも一人で修理を終わらせた。

 すると、みんな口々に「君の兄が作ったプールは素晴らしい」と言った。そして、「きっと修理も、君よりもっと手際よくやっただろう」とも。俺だって一生懸命にやったのにと思い、またそう言ったが、ほとんど相手にされなかった。

 目が覚めてから、いろいろなことを思い出した。

 俺は17歳で家を出るまで、常に四つ上の兄と比較され続けて育ってきた。兄の誕生日は5月で、俺は12月なので、4年と7カ月の年齢差がある兄とだ。でも、すべてにおいて比較され、そして直接的でないにしろ「お前は劣っている」と言われ続けていたかというと、必ずしもそうではなかったのだと思う。ただ、俺の耳には入らなかったのだろう。気持ちと受け取る言葉の意味を切り離して考えることなど、当時の俺にはとてもできなかった。

 ある時、それは勉強だった。ある時、それは運動能力だった。ある時、それは芸術だった。兄は俺の上位互換だった。生まれてからの経過時間が同じタイミングで、もしかしたら優れている部分があったのかもしれない。しかし、常に劣等感にさらされていた俺にそんな部分は見えなくなっていたし、何より、努力したり頑張ることに対してとにかく虚しさを感じていた。

 何をやったところで、俺個人で、単体で、身近な誰かに評価されることなどないのだと感じていた。俺の記憶の中にはないので想像でしかないが、おそらく評価されたこともあったのではないかと思う。しかし、それは記憶に残らないほどちっぽけなものに感じたのだろう。 兄のことは好きだったし尊敬していた。だから嫉妬に駆られて恨んだり憎んだりしたことはないし、そんなことはお門違いだ。しかし、強い劣等感はどれだけ消したくても消えることがなかった。

 それらが体験や記憶から性格に変化したころには、もはや兄との比較云々ではなく、俺はとにかく人より劣っていて、誰からも評価されず、認められず、"嘘"や"嫌々ながらの気遣い”の中でしか生きていけないように感じていた。むしろ、非難され、蔑まれることこそ、自分に与えられてしかるべき評価なのだとも思っていた。

 ある時、母に対して「兄と違って出来損ないでごめん」と言ったことがある。俺は、そんなことないと答えてほしくて、俺が言ったことを否定してほしくてそう言った。母は腹を立てながら「そうだ」と言った。

 母は腹を立てていた。だから、思ってもないようなことを言ってしまったのだと、自分に言い聞かせた。そんなことを言われたら、そんなふうに人を試すようなことをされたら不快になるというのは分かる。でも、いつにも増して虚しい気持ちだけはどうやっても制御できず、一人部屋にこもって泣いた。それまでも、自分は必要のない人間なのだろうと思っていたが、その思いは一層強くなり、ほぼ確信に変わった。

 ある時、学校の休み時間にトイレに行こうと廊下を歩いていると、突然首の後ろ側に生暖かい液体がかかったような感覚がした。とっさに右手で触ると、べたっとしていて、それが何かすぐには分からなかった。後ろを振り返ると、少し振り返ってニヤニヤと笑いながら歩いて行く二人組がいる。

 理解した瞬間、頭が真っ白になった。すれ違いざまに唾を吐きかけられたのだ。体が完全に固まってしまい、その場に立ち尽くした。見ず知らずの、学年が同じなのか違うのかもわからない人だった。ぶつかったわけでもないし、その理由など分からない。おそらく、「なんとなく雰囲気が気持ち悪いやつだったから」という程度のものだろう。

 しばらくして我に返ったとき、ひどく悲しかったが、不思議と怒りはあまりわかなかった。「俺のようなやつなのだから、仕方ない」と納得していた。自分はそういう扱いを受けてしかるべき人間なのだからと。罪があるから、罰を受けるのだと。

 俺の10代前半あたり記憶は、たいていこういったエピソードで構築されている。思い出せないのではなく、無意識に封印しているものもたくさんあるのだろう。しかし、自力で思い出せるものに関しては、毎日フラッシュバックする。毎日欠かさずフラッシュバックすることで、その記憶は過去の記憶ではなく、新鮮な記憶に上書きされる。そのため、一生忘れることはできないだろうと思う。

 そして年を追うごとに、"必要のない人間"から、"死ぬべき人間"に思考は変わっていった。10代半ばくらいだろうか、とにかくきっかけを探していた。あと一つの後押しが欲しかった。それは何でもよかった。「きょう誰かに怒られたら」「きょうガムを踏んだら」「きょう誰かが俺を笑ったら」とにかく何でもよかったが、数日に1回、その日を決めていた。

 結果的に俺は生きている。「きょう誰かに怒られたら」と思った日は、怒られないよう気を付けた。「きょうガムを踏んだら」と思った日は、足元をよく見て歩いた。「きょう誰かが俺を笑ったら」と思った日は、できるだけ人に会わないようにした(引きこもっている時期だったので、それは簡単だった)。

 死にたくなかったのではなく、それを超える運命みたいなものを求めていた。「自分は努力したがどうにもならなかった」という、"仕方なさ"を求めていた。とにかく自暴自棄になっていて、結果的に生きるとか死ぬとかはどうでもよく、仕方ないと納得できることなら何でもよかった。当然それは自分の中だけの基準で、他人からすれば、それこそ死ぬほどどうでもいいようなことばかりだったろうと思う。

 良くないことを考えている、しようとしていると思っていたのだろう。だから、仕方ない状況を探していたのだ。それを運命だと受け入れる準備をしていた。多少の恐怖はあったが、いまより楽になりたいと願う気持ちも本当だったし、誰だってより楽なほうへ行きたいと考えるのだから、それもまた仕方ないことだ。

 しかしある時から、死を強く恐怖するようになった。いつ頃から、何がきっかけでそうなったのかは思い出せない。おそらく、俺でもそう感じざるを得ないような、認められた、肯定されたと感じるような体験が、あるいはその複合的な体験があったのだと思う。しかしそれは、いつも身近にある、いざとなった隠れられる場所を取り上げられたような感覚だった。いつでも、仕方ない状況にさえ陥れば安心を与えてくれるはずだった場所が、恐怖を乗り越えなければたどり着けない場所になってしまった。

 それがきっかけとなり家を出た。両親は幼少期に離婚していたので、正確には母と継夫のいる家をだ。恐怖のあまり生きるしかなくなってしまった以上は、それは足を引っ張る場所でしかないと確信していたからだ。

 少しの間父の家に世話になり、その後一人暮らしをしながら高校へ通った。兄も早くに家を出て、一人暮らしをしながら高校へ通っていたので、その前例があり、保護者の説得はそう難しくなかった。

 生まれて初めて、自由になった気がした。解放された気がした。家は帰りたくない場所ではなくなったし、家の外も、俺を非難し蔑む人が無限にいる場所ではなくなった。俺は初めて、一人になれるという安息を手にできた。父には家賃や生活費を出してもらっていたので、まったく自立できてはいなかったが、その環境の変化は間違いなく俺に大きな影響を与えた。

 初めての一人暮らしではあったが、まじめに毎日起きて学校へ行っていたし、晩飯もちゃんと作って食べていた。いま思うと、大学生のころよりもしっかりしていた気がする。転校先で友人もでき、17歳になって初めて、普通の学校生活を卒業までの1年間だけ過ごすことができた。中学生活は引きこもっていたので、勉強したこと以外何もない。

 

 いまにして思うと、少しのズレのようなものがたくさん積み重なってしまっていたのだろうなと感じる。冒頭のずっと劣等感を感じてきていたエピソードも、数あるズレのうちの一つでしかない。いろいろなことが重なって、俺は自暴自棄になり、諦めるようになり、仕方ないと思える状況を探すようになった。

 俺自身も含めて、別に誰も悪くない。たまたまいろんなタイミングや状況が悪かっただけだ。いまにして思えば、そりゃ四つ半年上の兄と比較したら劣ってるに決まっているし、努力する前から比較されることに怯えていれば、そりゃやる気もなくなる。でも、別にその比較にも悪意はなかったのだろう。誰もが相対的評価にさらされているのだから、自分だって他者に対してそうしてしまうのは当たり前だ。

 何よりも、自分自身がそうしていたのだ。常に自分より優れている人間を探し、勝手に劣等感を感じていた。この分野ではAさんのほうが、この分野ではBさんのほうが優れている、だから自分は何をしても人より劣っていると。

 完全に考えすぎだった。そもそも比較してどうなるという話なのだが、それは比較され続けた環境に居続ければ、まぁ自分でも比較するようになるだろうというのは想像に難くない。本当は優劣など競技種目の中だけでやればいい話で、そこ以外で頭がいいとか悪いとか、運動できるできないとか、感性がどうのこうのとかは、世間話や与太話の範疇であって、それで真剣に思い悩む必要はまったくない。一晩で忘れてしまっていいものだ。

 何がどうあったって、自分ができることを自分のできる範囲でやるしかないし、それ以上はできない。劣等感を感じることもあるだろうし、穴があったら入りたいと思うこともあるだろう。ただ、だからって何もいますぐに死ぬこたない。生きている理由なんて、「死ぬのちょっと怖いかも」だけで十分だし、そもそも本当は理由なんてなくたっていいのだ。

 ただそれも、いまだから考えられることだ。それに、"死んだほうが楽"が解決されたわけではない。生きていく理由云々は、あくまで"生きていたい"や"死にたくない"が根底になければ意味がない。俺はたまたま"死んだほうが楽"に疑問がわいて、生きるよりも死ぬほうが怖くなっただけだ。だから、本当にそう思っている人間に対しては、生きる理由云々なんて言うだけ無駄だ。

 しかし、俺が家を出て解放されたように、実は死ぬほどの勇気なんて必要なしに、生きることへの恐怖を払拭できる場合は多々あると思う。問題はその発想・行動に至る気力がないことだ。

 本当にどうでもよくなるのだ、全部が。もっとひどくなれば、仕方ないと思えるきっかけすら必要なくなっただろう。これをやればなんとかなるんじゃないかとか、あれをやれば環境は変わるんじゃないかとか、発想がまず出てきづらいし、発想だけあったとしても行動に移す気力がない。勇気どうこうじゃない。とにかく気力がないのだ。全部がどうでもよくなっているならやっちゃえよと思うだろうが、何もできないのだ。慢性的な自暴自棄というのは、実はそんな簡単に解決できる精神状態ではない。

 何がその気力をわかすものになるのか、人によってそれは違うだろうし、自分のきっかけが何であったかも分からない。でもきっと、少しのズレと同じように、少しの体験が、肯定や承認が、それをわかせたのだろうと思う。実体験なのか、発想の転換だったのか、あるいはその両方かは分からないが、何かが必要だった。そして確かにそれは起こり、いまがある。

 

 少しのズレの積み重ねは、大きな歪みに変わり、そしてその一部は不可逆的だ。俺の中にもたくさん残っている。基本的に気力の弱い人間であるし、実はずっとどこか一部分に負荷がかかっていて、いまにそこから決壊してしまう状態なのかもしれない。ただただ、いまの自分を正当化して、なんとか自我を保っているだけかもしれない。この自分に対する疑念もまた、不可逆的歪みの一つなのだろう。

 それでも、その姿が自分なのだろうと受け入れるしかない。そうやって自分を正当化し、慰めているだけかもしれない。それでも、「それでいい」と思って行くしかない。諦めに近いのかもしれない。しかし、「でも、それでいい」を自分に対して言える、その気力だけは残せるように刻み付けた。