いつも限界に近い

しがないバンドマンの随筆

 ネットサーフィンをしていると、いろいろな事象に対して、いろいろな人がいろいろな意見を語っているのを見かける。そんなページをぼんやりと読んでいると、先日兄と「誰が言うかではなく何を言っているか」で判断できれば理想だけどね、といった話をしたことを思い出した。

 しかしよくよく考えてみれば、本当に理想的なのかというと、それが良いことのように錯覚していただけで、別にそうでもないように思った。「言っていることが正しいのであれば、誰が言っているかは関係ない」これは確かに良いことのように感じるが、結局それは、"その話者"が言っていることだから、そう判断できるだけなのだろうと。

 例えば、自分が信頼している誰かの言っていることが、自分の考えとは異なることだとする。でもその場合「もしかするとそうなのかもしれない」という受け止め方が容易だ。その手順を踏むことで、最終的に「やはり自分の考えが正しい」と判断するか「自分の考え方が間違いだった」と判断することができる。

 しかし、自分が信頼できない人物が言っていることが、自分の考えと異なる場合、「やはりこいつは間違ったことを言っている」と受け止めることが大半ではないだろうか。そうすると、その意見の是非を考えることすらほとんどしない。無理やりしようとしても、そのバイアスを取り除くことはとても難しく、本当に正常な判断ができているのか怪しい。

 逆にその人物が自分と一致した考えを言っていた場合は、「自分は誰が言っているかで判断していないから、人の好き嫌いで内容の是非を判断していない」と錯覚しやすい。結局のところ、あくまで自分の考えと一致しているかどうかになってしまっている。

 この「自分の考えと一致」というのは、「納得するかどうか」も含まれる。最初は自分の意見と一致していないと思っていても、納得がいく内容であれば信じるという場面は多くある。しかし結局のところ、それは自分の中の正しいことと間違いであることと、話者のそれとが一致しているから起こることなので、少しニュアンスが違うかもしれないが、"根底的に同じ意見を持っている"といったようなことだと思う。

 同時に「こいつのことは嫌いだけどもしかしたら正しいかも?」と思う背景には、多くの場合、自分の考えが正しいかどうかはっきりとは分からない、という状況もセットになっているはず。だから「納得さえすれば」が入り込む余地がある。

 「正しい」と確信している自分の考えの前に、嫌いな人間の反対意見は入り込む余地がない。一応聞いたとしても、それは本当のところ聞いてない。好きな人間の反対意見なら、結果はどうあれ一応ちゃんと聞いてみる。嫌いな人間が賛成していても「自分は誰が言うかで判断していない」と自分を納得させ、好きな人間が賛成しているなら「やはりそうだった」と、疑いもせず確信を強める。

 実際その話をしたときも「実際は難しいし、結局のところ最後は自分で判断しているだけだよね」という結論に落ち着いた。順序だてて考えると、上述のようなことなのだろうなと思う。

 ずいぶん長い前置きを終え本題「誰が言うかではなく何を言っているか」で判断することは、必ずしも"良いこと"と言えないのではないか。

 例えばすべての人間にそれができたとする。するとある意見に対して、当然それぞれの価値観によって是非が異なってくる。ここで起こる相違は、通常とは異なり根底的に違うものになるので、基本的に相容れない。たいていの場合は二極化し、多数と少数に分かれる。

 普通の状況であれば、ここで専門家などが出てくるが「誰が言うかではなく何を言っているか」で判断しているので、つまるところ「自分が納得し同意できるかどうか」しか指標がない。そうなると、たとえ専門家が「少数の意見のほうが正しい」といくら主張しようが関係ない。

 ここでは専門家だろうが素人だろうが、1つの意見の価値は同じだ。「専門家ならみんなが納得できる答えを出せるのではないか」という気もしたが、専門家というバイアスがかかっているからこそ「この人が言うのであれば正しいのかも」という余地が生まれるので、結局意見は割れたままだろう。

 ここで言う専門家は「客観的に正しい判断ができるとされる人物」と言い換えてもいい。現実はさておき、たとえそうであったとしても、少し考えるだけでこんなに大きな問題が出てきてしまう。まぁそもそも、必ずしも二極化するばかりでもないとは思うが、結局同じ問題が生じてくるのは間違いない。

 もう少し考えてみたが、『「誰が言うかではなく何を言っているか」で判断することは、必ずしも"良いこと"と言えないのではないか、を正しいと判断する俺』が、ああ言えばこう言ってくるのでもうやめた。こいつ何を言っても「いやでもさ~」で返してくる。民主主義の弱点とか政治の話にも絡んできそうで、続けると無限地獄に陥りそうだ。

 そういうわけで「誰が言うか」も大事だよな~ということだと思います、はい。まぁそれも含めて、結局最後は自分で判断するしかないのだけれど。